無計画博士課程進学者の生体とその果て

博士課程進学者のしゅうりょうまでを記す

研究者に必要と言われること

研究者に必要なものとして「やる気」「情熱」などが挙げられることが多い気がする。

 

これについて疑問を感じる。

精神論・根性論のような「熱さ」が必要とされることは適切なのだろうか。

 

0から1を生み出すような、大きなエネルギーが必要な時は「熱さ」が求められると思う。新しい手法の開発や概念の導入については「熱さ」が重要になると思う。

 

しかし、今まで積み上げられてきた成果を見つめ直す時に必要なものは「熱さ」よりも「冷たさ」ではないだろうか。

 

性能とともに高額になっていく装置を導入し、最先端の研究と謳うことも必要ではあるが、伝統的な手法による研究を続けることも同様に重要だと思う。

 

古くからある手法に対し「熱さ」を持つことは難しい。新しいものにこそ「熱さ」が向きやすい。

 

 

だからこそ「冷たさ」を持って、既存の方法で「淡々と」「冷静に」研究を行っていける環境が必要だと思う。

 

研究者を増やしたのであれば、「冷たく」機械的に研究が出来る人間にも居場所を与えると良いと思う。

 

自分自身が研究に対し熱量がある方では無いという自覚があるので、無機質に金にならない研究を行えるようになりたいと思った。